ごあいさつ


  思いおこせば、この業界に足を踏み入れ、あっという間に20年が過ぎました。

 

 始めた時は、20代の茅葺き職人は、全国でも数人でした。美山では50年ぶりの後継者といわれ、またマスコミ等にも取り上げられ自分でもびっくりしたことを思い出します。

 

 茅葺き職人になるまでは、地元の農協に就職しており、「この仕事をやる。」と言った時、今は亡き祖母に「なんでいまさら・・・ やめてくれ!保証もない!雨が降ったらできひん!冬はあかん!飯も食えへん!結婚も出来ひんぞ!頼むから目を覚ませ!」と泣いて反対されました。

 

 それもそのはず。昔の人は、茅葺き職人を卑しい職業と思っている人が多かったのです。それでも「自分の人生、思い通りに生きたい。自分にしか出来ないことをやらねば!これが出来なければ自分は生きている意味がない!!とゆるぎない自信と覚悟がありました。祖母の言ったとおり、雨降りは休み、冬は仕事なし、金銭的にはかなり苦しかったです。しかし家からの通いだから出来ました。愚痴も祖母が聞いてくれました。

 

 丁稚よりはじめ、若者は自分一人でしたが、1年後大きな転機がおとずれます。自分の住んでいる美山町北が国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されます。

田舎暮らしの本なんかができ、みるみるうちにスーローフード、スローライフなど田舎の時代がやってきました。マスコミに取り上げられたのもこの時期です。街から茅葺き職人になりたい若者も来ました。(3人の弟子は、今も美山で独立してやっております)

 

 親方が高齢でもあったからか、しきりに「一緒にやれる弟子を作れ、一人ではあかん」といわれました。

この時自分は必ず若い者を育てていこうと心に刻みます。

 

 そして冬は美山以外の土地で、茅葺きをやっておられる職人さんのところに押しかけて、一緒に仕事をさせてもらいます。5年後、一人前に認めてもらえる年明け式をしていただきます。そしてその1年後、親方が屋根から転落するという大きな事故を起こされ、長期の入院。私は独立せざる終えなくなりました。

 

 しかし、ここで神様が味方してくれます。弟子にして欲しいと美山出身の若者が入門してきます。そしてまたすばらしくできる若者でした。(現専務取締役)その後人が人を呼び、今わが社では14名の若い職人がおります。(平均年齢32歳)本当にうれしいかぎりです。

 

 

 祖母が心配してくれたことは、私の教訓とて生かしています。

 

〇雨が降ったら出来ない

→素屋根や、シートで施工。また倉庫での茅つくり。

〇冬のお仕事

→雪の降らないところでの出張仕事。

〇生活の安定

→社員の給料体制で、福利厚生の加入

〇すまいの確保

→寮の確保

〇結婚

→出来ました。(子供3人です)・・・

 

 

 昔は「仕事は見て盗むもの」の教えでしたが、現在会社では、手取り足取り教えております。変えるべきところは変えていっております。先人から言わせれば甘い、甘い、の言葉が聞こえてきそうです。しかしどんなちいさな火でも絶やしてしまったら終わりです。私は何が何でも、この技術を後世に引継ぎたいです。

 

 そして日本が胸をはって誇れるものが、この伝統文化だと考えております。これからも皆が一体となりやっていきたいです。

 

 

美山茅葺株式会社 代表取締役 中野 誠